
2021年05月04日
【 世界を相手に・・・ 】
東京 昭島駅を降り、徒歩数分。
入り組んだ住宅街の中に一風変わったジムがある。
D&Dボクシングジム。
かつては名門、石川ジムがあった場所がそれだ。
このジムはプロボクサー育成がメインではない。
そしてプロジム化すらも目指していない。
ボクシングに挑戦したいのに
視覚を始めとする様々な障がいにより
習いたくても習えなかった人達を受け入れたい
そんな気持ちから始まった、ジムなのだ。
It's ability, not disability, the counts.
(失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ)
これは村松が良く使う言葉だ。
パラリンピックの父と呼ばれる
ルートヴィヒ・グッドマン博士の言葉だ。
村松は誰よりも障がい者の人達の気持ちが分かるボクサーだった。
なぜならば、村松自身も障がいを抱え
そしてプロとしてリングへと登っていたからだ。
「負けた試合の言い訳に、怪我を持ち出したくはなかった」 と、
村松は過去の試合を振り返りそう語る。
“上肢機能障害【左手関節機能全廃】"
それが村松の所持する障害者手帳に記された内容だ。
「怪我さえなければ世界を狙えた」
現役時代の村松を知る者は、必ず口にする言葉だ。
だか村松はそれを嫌う。
「世界へと行けなかったのは、俺自身が弱いせいだ」
それでも村松は、日本ライトフライ級1位
36戦22勝(10KO)12敗2分
そんな輝かしき戦績を残し引退。
36戦中30戦を右手一本で戦い抜きながらの戦績である。
村松はプロデビュー後まもなく
交通事故(ひき逃げ)に会い、左手を負傷
その事故で左手四本の指の腱を切り
左手はほぼ何も使えない状態となる。
それでも、残った右手一本で試合を勝ち抜く姿に
人は感動し、やがてその右腕は
"竜の爪"そう呼ばれるようになった。
世界を夢見て世界に届かなかった男は
第二の人生として、障がい者用のジムを設立
ボクシングのバリアフリー化を目指し国内のみならず
この競技を世界へと広げる為に
村松は今尚、現役時代と同じトレーニングを重ね
身体を張り、トレーナーとして活躍を続けている。
かつて世界を夢見た男は
今まさに、世界を相手に戦っている。(筆者:菊池 裕忠)
Posted by DRAGON at 01:03│Comments(0)
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